元教育者の私
たまには教育ネタ書きますね

テーマは「嘘」

何たって一番の嘘つきは
ご存じのように
政治家
とりわけ安倍内閣は
嘘の塊

その嘘の話ではなく
子供のつく嘘について

子供は
凄い嘘つきです

特に幼児期から小学校中学年位までは
凄い嘘つきです

何故なら
自分中心世界の住人だから

要するに
ままごとや探偵ごっこや
アイドルやヒーロー遊びなどの
自分の思いや空想の世界で生きてるから

自分は本当に
アイドルやヒーロー気分な
彼女や彼らたちは
現実との境目があいまい

なので
現実との摩擦が起きた時に
一見嘘のような言動になる

例えば
アイドルグッツに母親の指輪を
こっそり遊びに使い
もっと興味関心あるものに目が行くと
すっかり指輪のことは忘れて
元に戻すことを忘れて
自分のおもちゃ箱か
床に散乱

親にとっては大事な物が
床に散乱していれば
怒るのは当然

子供は
怒られた時点でやっと
そういえば・・・・と
母親の指輪で遊んだことを思い出す

もともと子供には悪気が無いので
何でそんなに怒るのかは
???


ごめんなさいの一言が
出てこないので
もっと怒られて

泣いて謝って
一件落着し
ついでに申しませんと
言わされる

でも
まだまだごっこ遊びの彼女や彼は
そんなことはスグに忘れて
また同じようなパターンにハマる

同じ失敗をして
親の怒りに触れた学習があるので
怒られたくないので彼女や彼らは
今度は言い訳をするようになる

それは親にとっては
直ぐにバレる嘘をつく子に見える
それが何度か続くと
親には
もっと怒りの感情が溢れてくる

悪循環の始まりです

子供も知恵がついてくるので
自分の失敗を隠すようになり
泥沼化

ここまで書いて来て
安倍政権のこれまでの件も
同じような
悪循環の泥沼なような気がしますね(笑)

さて
この悪循環のループを
どう脱するかが大事

親は
子供の成長過程の出来事ではあれ
自分の子供に
嘘をつかれたらそれはショック
怒りたくなる気持ちも良くわかります

だから
結果的に嘘をついてしまった
子供が起こしてしまった現象には
とってもダメな事だと
怒っても良いと思います

問題は親の怒り方です

その場で状況を具体的に説明し
何故あなたが怒られてるか
そして
その事で親の私が
どんなに悲しい思いをしてるかを
強く伝えることは大事

でも
一番やってはいけないことは
人格の否定

お前はバカじゃないの
お前は嘘つきのダメな奴だ
将来が心配だ
お前など生まれて来なければ良かった
などなど

こんなレッテルばかりを
日常的に張られると
自尊心の弱い
自分はダメな人間だと言う
自信のない子に育つか
自暴自棄な性格になる可能性が高いです

ですから
怒った後に
しっかりと抱きしめてあげるとか
片方の親が怒った時には
何気なく片方の親がフォローするなど
あなたはとっても大事な存在で
素晴らしい大切な宝物と言うことを
同時に伝えることが一番大事


怒ってばかりの
人格否定が続くと
それが二次的な嘘つきの
再生産に繋がります

小学校高学年から思春期にかけて
子供は大人になる成長過程で
今度はごっこ遊びの嘘ではなく
現実を知った上での嘘をつく練習をします

これを読んでる
あなたにも経験があると思います
思春期に嘘つかないで育った人は
私以外は
多分皆無でしょう!
嘘です
大嘘です(笑)

思春期に
嘘を見破られて
大失態や嫌な思いをすることや
逆に嘘をつかれて
嫌な思いをすることも
大いなる勉強

また
嘘も方便と言う言葉があるように
人を喜ばせたり傷つけたりしない
上手な嘘も時には必要なのも人生

ところが一番怖いのが
幼少期に人格攻撃をされて育って
親や学校の対応が悪くて
思春期に巧妙な嘘の使い手になり
嘘で窮地を切る抜けた経験の多かった人が
一番可哀そう

例えば
車の免許を取得して
人身事故を起こしたとき
嘘を切り抜けた経験の多い人や
自暴自棄な性格に育った人は
多分ほとんど
とっさに
その場から逃げると言う選択を
ためらいなくすると思います

嘘をついて切り抜けてきた過去の経験と
自尊心の弱さがなせる結果です

そんな彼女や彼らは
幼児期や思春期に
大人の適切なかかわりが欠けた事の
いわば犠牲者でもあると思います

ですから
安倍政権の自暴自棄な嘘を
ここまで増長させたのも
私たち国民の責任であることも
明白ですね

本日の一句です
必要な 大人の嘘は 使いよう

追伸
私の告白
私は小学校高学年担任がほとんどだったので
嘘を着いた子供を体罰したことがあります
それはここでしっかり伝えないと
この子の将来に影響すると思ったからです
体罰は別室で一対一で
何故先生が怒ってるか伝えて
平手で頬を殴りました
そしてなぜここで殴ったのかも伝えました
「みんなの前で先生に叩かれると
お前の心が痛むだろう恥をかくだろう
でもお前のやったことは許せないんだ!」

彼らの30歳過ぎの同窓会で
私が殴った子たちから
人生の師匠ですとのラベルの書いた
日本酒が届きました
教育の成果は何年か後にしか分かりませんね










































奇跡について 最終回

奇跡シリーズ
とうとう最終回です

多分これからの人生でも
奇跡的にみえる振動波同調は
起きるとは思いますが
一応最終回 (笑)

で最終回は
貞子さんとの出会いに関する奇跡

最近のブログ読者さんから
貞子さんとの馴初めを知りたいと言う
要望もいただいていたので
奇跡と絡めてお話しますね

私は男ばかりの5人兄弟の次男
兄は勉強が良く出来る秀才タイプ
次男の私は勉強は普通で
得意なことは走ること

母親の偉いところは
兄弟を比較することは無く
兄ちゃんは勉強できるけど
盛行お前は走るの速いね
と違いを認めて褒めてくれる人でした

その兄が
国立北海道教育大学函館校に入学

負けず嫌いの私は
兄と同じ大学に入って
足の速さを生かして
体育教師になろうと思いました
もし
兄が大工さんにでもなっていれば
多分自分も大工さんになってたと思います

ところが
学力的には国立大学は
私の学力ではハードルが高すぎたので
当然現役では受かりませんでした

札幌での浪人中はネオンがまぶしすぎて
凄い遊びまくり
結局は予備校には一度も行かない馬鹿な生活
ここでは詳しくは書きませんが
一発逆転の大どんでん返しがあって
兄と同じ大学に滑り込みました
これも奇跡と言えば奇跡ですね

その奇跡的に合格した大学ですが
その頃は全国的に学園紛争花盛り
函館の教育大学も大学封鎖など
学生が政治的主張を掲げて大暴れの時代

何故か
兄と暮らすようになったアパートが
学園紛争のアジト化していて
兄はその中心的メンバーだったので
右も左もわからない田舎者の私でしたが
結局私も左翼系学生一派の仲間と共に行動

結局
ほとんど大学に行かないと言ううか
行けない生活が2年ほど続き
大学紛争も下火になりましたが
負け戦の敗残兵みたいな私たちは
ほとぼりが冷めるまで大学にも行けず
実家の不況で仕送りも無く
仕方がなく仲間数名と
蕎麦屋の出前持ちのバイトで
生きていくことになりました

それが貞子さんとの出会いでした
ア~やっと本題に入れた(笑)

その蕎麦屋に勤めていた姉を頼って
近隣の町に住んでた高校生の貞子さんが
夏冬休みにバイトに来ていました

ホールに立ってる貞子さんを
初めて見た時の印象は今でも覚えていて
一輪の可憐な野の花が
静かに微笑んでいる感じでした

ところが
貞子さんは私のことなど
全く印象に無かったそうです(笑)

ひとめぼれの私は
何日か後に
ここ一番の勝負で
貞子さんを映画に誘うと
何と二つ返事でOK

その映画は
何とも色気のない
「フーテンの寅さん」(笑)

その後
昭和48年の春
高校卒業と同時に
強引な私の押しの強さで
全く世間知らずの貞子さんと
函館市内で同棲生活開始

私は貞子さんと出会ったころから
少しずつ大学に復帰していて
同棲した時は既に大学5年生

私の大学での授業に合わせるために
貞子さんは高校卒後に勤めた会社は
直ぐに退社して
バイト生活で私を支えてくれました

その昭和48年の暮のことです
競馬場警備のバイトで
馬券の買い方を覚えた私
それで
初めて貞子さんも馬券を買いました
年末恒例の有馬記念です

ニットウチドリと言う可愛い名前と
ストロングエイトと言う強そうな名前
で貞子さんが1枚200円で買った2-8の馬券が
何と万馬券!

続いて
函館大門商店街の年末福引
特賞大当たり!

奇跡は続きます

そして
年明け早々に
貞子さんご懐妊判明

私は5年生では卒業は無理で
6年目突入が見えてたので
果たしてどうしたもんか
と思い実家に相談

早々に簡単な挙式をして
お腹が膨らんで来た貞子さんは
私の静内町の実家で暮らすことに

私は前年に
道教委の教員採用試験には合格していたので
大学を卒業さえできれば
就職の道は見えていましたので
私は函館に残り
必死で卒業を目指しました

8月には無事長女夏子が誕生
私の大学卒業も9月中旬に認定され
大学5年半で卒業できました
と言うか
押し出された感じでした

そして直ぐに
えりも岬小学校赴任の話がきました
9月いっぱいまでは
前年度の採用試験合格権利が残っていたので
ギリギリセーフでした

しかし
直ぐに健康診断を受けて関係書類を
道教委に提出しなければ
期限が切れることが分かり
郵送では間に合わないので
私がJRに乗って直接書類を届けに
札幌の道教委に出向くことになりました

ここから奇跡と言うか
不思議なことが起きたのです

何故か札幌駅を出て歩き始めたら
大事に抱えていたはずの
書類の入った封筒が手元に無いのです!

今日届けなければ
就職は無しです
パニックです

慌てて駅に戻ろうとして走り始めたら
何と
空から封筒が舞い降りてきたのです
地面に落ちた封筒を拾って
手に取ると大事な書類が入ってました!

夢を見てるような
不思議な光景でした
どうしたんだ!
俺は大丈夫なのか?

頬っぺたをつねりたい気分でした

これを
奇跡と言うか
超常現象と言うか

不思議過ぎる出来事でした

そして
昭和49年10月1日採用で
無事10月10日の体育の日に
私は貞子さんと長女夏子を連れて
えりも岬小学校に着任出来ました

皆様
長らく私の奇跡シリーズ
お付き合いありがとうございました!

本日の一句です
齢重ね 生きてる今が 奇跡です

追伸
昭和49年の年末のレコード大賞の曲が
森進一の「えりも岬」でした

何もない春ですと
歌われたえりも岬
私たち家族はそれでも幸せでした


































奇跡について その9

久しぶりのブログです

奇跡シリーズは続きます

日本一周中にたまたま昨年
山口県でお会いした
ピンク仙人こと西元満晴さんの
「波動の法則」の投稿に触発されて
書き始めたこのシリーズ

この世のこの時代に
こうして生を受け
人間として存在してることこそが
まさしく奇跡なのですが
それも波動で考えると
前世で自分が
この時代に人間として
地球と言う星に生まれる
周波数の波動を選択したから

波動から考えると
偶然とか奇跡とかは無くて
自分が発信してる周波数の波動に
同調共振して現象が起きてるだけのようです

一番わかりやすい例は
テレビ視聴が出来る原理

テレビの電波はいつでも
私たちの周りに届いてるのですが
それを観たい時は
各テレビ局の電波の周波数に
テレビの周波数(チャンネル)を合すと
同調して画面が映る原理

つまり偶然や奇跡のような出来事も
自分が発してる周波数の波動と
自分の周りに満ちている
数えきれないほどの数の
可能性の周波数の波動の中の
一つの周波数の波動と
自分の発する周波数の波動とが同調したから
現象が起きてるだけ

今NHKの番組をみたいと思い
NHKの周波数を選択(決心して行動)すると
テレビ画面(現実)にNHKの番組が現れた
とほぼ同じ原理

ですから
自分が何をするか(do)よりも
自分がどうあるか(BE)が大事で
どんな振動波を出して生きてるか(BE)で
同調した出来事(do)をするように
なるのが現実のようです

前置きが長くなりました
この日本一周中に起きた
一番の奇跡的(周波数同調)なお話です

昨年秋に山口県に入った時のことです
長門市に近づいた時
長門市在住の阿波ひろみさんと言う女性が
Facebookで繋がっていることを思い出し
一度お会いしたいと思いました

ひろみさんと
Facebookで繋がったのは
数年前に苫小牧で
私の孫の真彩が
桜の樹の下で遊んでる写真をアップした時
たまたまその写真に感動していただき
写真に素敵な詩を
ひろみさんが書いて下さったのがご縁

ひろみさんとお会いするだけでは
もったいないのでこの機会に
私の日本一周のお話会的なことを
長門市で企画して欲しいとお願いすると
それがすぐに現実化して
そこで沢山の方と繋がりが出来ました

もっと有難いことに
そのお話会がきっかけで
下関市や防府市の小学校で
私の授業が企画されることになり
日本一周での出会いが
雪だるま式に増加しました

阿波ひろみさんは
元々学校の先生でした
ところが
三番目の息子さんが
重度の心疾患で誕生し
紆余曲折の末に
米国にて心臓移植の大手術をすることになり
その付き添いのために
ご自分は退職を決断されます
そして奇跡的に息子さんは生かされて
今は高校球児になるまでに
元気に成長されてるのです

私はひろみさんに
そんな大変な背景があることは
全く知らなかったのですが
その当時の壮絶な様子が
ひろみさんからいただいた
「ミラクルボーイと呼ばれて」の著書に
詳しく書かれています
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さてここからが私のミラクルなお話
そのひろみさんのお陰様で
先ほどお話した通り
私は山口県内で授業や講話をさせてもらう
機会が増えました

2月中旬に
防府市内の小学校での
6年生最後の参観日の授業で
日本一周のお話を依頼され
九州の大分県から山口県防府市に向かって
日本一周の歩を進めている時のことです

2月2日に
たまたま大分市内に入ると
別府大分マラソンの日でした
私の大好きなマラソンの
メジャーな大会をこの目で見れる機会は
それほど有ることではありません
それで観戦することにしました

以下当日のブログの抜粋です

大分別府マラソンのスタートから
10km地点にある折り返し点で
観戦することにしました

貞子さんはそれほど関心がないので
先にどんどん進むことになりました

先頭ランナーの到着を待ってる人が
だんだんと増えてきました

たまたま隣り合わせたご夫婦と
親しくなり
いろいろお話をしてると

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私が今大分を歩いてるのは
2月12日に山口県防府市の玉祖小学校で
授業の依頼をいただいたので
南九州は後日周ることにして
一週間前に大分入り

その事をお話すると
何とこの方
防府市の大学の先生でした!
玉祖小学校のことも良くご存じで
私を玉祖小学校に繋いでいただいた
下関の元教育長さんのこともご存じでした!

今度防府でお会いしましょうと
お別れしましたが
世間は本当に狭いですね
びっくりです!


そしてなんと嬉しいことに
この先生(三輪先生)
2月12日の
防府市での私の授業を
参観してくださったのです

そして
その数日後約束通り
防府市内で会食することになりました
そこで
驚きの事実が判明

いろいろな事をお話してる中で
阿波ひろみさんと言う方がキーマンで
山口県で沢山の人と
私たちを繋げてくれたとお話すると

何とこの三輪先生
阿波さんが息子さんの心臓移植で
一番大変だった当時の
職場の校長先生でした!

渡米して心臓移植をするための
救う会を立ち上げ
全国に募金活動を展開を始めたころの
当時の学校の校長先生だったのです

私がたまたまマラソン応援で
隣の男性に語り掛けたのが
出会いでしたが
この時に私の発信する周波数と
阿波さんや三輪先生の発信する周波数が
同調したのですね

本日の一句です
振動波 オープンハートが 送受信


















奇跡について その8

夫婦川柳の10万円での
旅行先でも不思議体験

奈良の天河弁財天と言えば
映画地球交響曲(ガイアシンフォニー)で
有名になった神社

京都市内から
そこにも足を運びました

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天河神社は芸能の神様の弁財天がご祭神
それでたまたまギターを持参してたので
記念に鳥居の前で
自作曲を歌おうと思い
社務所に一応お伺いに出向きました

どうぞどうぞと
鳥居の前ではなく
何と立派な能舞台に案内されました!
ここは有名な芸能人たちが
歌ったり踊ったり演じる場所

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そこの舞台に煌々と照明が入り
ご自由にどうぞとのこと
不思議なことに
その場に数名いた参拝者の姿が無くなり
私たち夫婦だけになりました

素人の私が
こんな大事な場所で歌っていいのかな?
と半信半疑ながらも
舞台に上がって
「さくらぎ笑楽好」の歌を歌いました

貞子さんには
舞台のそでで記念の写真を
デジカメで撮ってもらいました

歌い終わって
舞台から降りると
貞子さんが不思議な顔をして呟いています

写真が変だ・・・・・

そう
10枚ほど撮った写真が
全てグニャグニャに歪んでいるのです

今までに見た事も無い変形した写真です!
どう写せばこうなるの?
と思う不思議な写真でした

それがもっと不思議なのは
一週間後くらいに
ブログにアップしようとして
その写真を探しても
消えて無くなってるのです

苫小牧に帰宅後
何人かには見て貰ってるので
写っていたのは間違いないのですが
結局
その後行方不明のままです

写真がグニャグニャに歪んだのは
弁天様が素人の私の歌を
喜んだのか?
驚いたのか?

喜んだことにしておきましょう(笑)

本日の一句です
喜んだ 弁財天の いたずらか














奇跡について その7


奇跡の話は続きます

2007年のこの年
さくらぎ笑楽好を始めたばかりで
ほとんど収入の無い
毎日を過ごしてた時
普段自己主張の少ない貞子さんが
珍しく京都旅行に生きたいと
言い出しました

それが奇跡の始まりでした

収入が無いのに
お金をどう工面しようか?
と思ったときに
たまたま手元に合った地元新聞の
「夫婦川柳募集 大賞は10万円航空券他副賞多数」の
記事が目に飛びこんできました!

それまで川柳なんて作ったことも無かった私が
何の迷いもなく

貞子さん
この大賞をゲットして
貞子さんを旅行に連れて行くよ!
と高らかに宣言したのです

それが現実化した時は
本当に鳥肌が立ちました
「宣言」の力は大きいですね
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詳しくは過去ブログをお読みくださいね

https://sakuragisho.at.webry.info/201111/article_7.html

奇跡について その6


今日6月6日は
私にとって特別な日です

退職を決めたのが
今から14年前の
2006年6月6日のこと
この日の早朝の
奇跡的なご来光を見た時
大きな閃きがあり
翌年春の退職を決めました

ことの経過の詳しくは
私が過去に書き残していた
下記文章をご覧ください

私の人生に与えられた教職という道は天職でした。大変なこともありましたが未来に向かって成長する子供たちと関わることはとてもやりがいがあり、充実した日々でした。
私は40歳代の後半に管理職の道を選択しました。その理由の一番は、親孝行を考えたからです。小学校しか出ていない両親にとって息子が校長になることはこの上ない喜びだったと思います。しかし、そんな両親の喜びは束の間でした。私はたった2年で校長職を辞し、定年退職まで3年を残して早期退職の道を選択したからです。
退職の理由は、三つあります。一つ目の理由は、日本中で、子殺し親殺しが当たり前のような昔にはなかったとんでもない事件の続発です。ニュースを見るたびに、このままでは日本が滅びる、子供の教育だけではだめだと思うようになりました。世の中を変えるために、第二の人生は子供を教育するより、まず、大人を変える仕事をしたいと思いました。
二つ目の理由は、私はとっても素敵な学校の校長だったからです。地域もPTAも児童も教職員にも恵まれ天国でした。ここに私は必要ないと思いました。不思議に思うでしょうが事実です。早期退職する身にとってこの素敵な学校は男の花道だとも感じました。逆に大変な学校での早期退職は敵前逃亡と同じになります。また、定年をめでたく迎えてご苦労様という人生を選択するよりも、途中退職し自分を追い込む人生の方が良い仕事ができるとも思いました。
三つ目は、素敵な朝日に遭遇したことです。6月6日の朝日に手を合わせると、とても奇跡的なことが起きるとあるブログに書いていました。2006年6月6日の朝。実は残念ながらその話はすっかり忘れて寝ていたのですが、不思議なことに普段吼えない愛犬鈴(当時1歳)が吼えて起こしてくれました。でも、外はドンヨリ曇っています。あきらめて布団に入りなおしました。
すると、犬の散歩に出た貞子さんが急いで私を起こします。「朝日が出ている」と。外に出てみるとポッカリとそこだけ開いた地平線と雲間の狭い間に、真っ赤に輝く朝日が出ていました。2~3分で朝日は雲の中に。私はこの束の間の幻想的な朝日を見た瞬間、なぜか「学校を辞めよう」と決断しました。
その夏に、教育長に辞表を提出しました。教育長の驚く顔が今でも思い出されます。私を高く評価してくれていた人を裏切るようなものですので、とても心苦しさがありました。
それにも増して貞子さんの戸惑いは大きなものがありました。この人と共に築いていく第二の人生です。説得し納得してもらう必要があります。私の最後の殺し文句はこれでした。「仮にこれから行うことが最悪のシナリオになったとしても命まではとられない。生活保護を受けても二人がこれまでのように仲良ければ大丈夫だよ。」
翌春の退職まで約半年の猶予がありました。人間、決断して宣言して行動を始めると自分自身のセンサーが敏感になるのを感じました。これまでにはないようなたくさんのアイデァや情報が私に集まり、現在の大人の学校「さくらぎ笑楽好」の構想が出来上がり、大人が元気になる空間が現実のものとなりました。




本日の一句です
宣言で 本気センサー スイッチオン

追伸
私が校長職に就いた時の
前の年度までのPTA会長で
その後学校評議員として
いつも顔を合わせていた方の息子が
何と
今私が居候でお世話になってる
末娘の旦那さん!

彼と娘との出会いは偶然で
私が退職して10年以上経ってからのことですので
これも奇跡と言えますね





奇跡について その5


 平取町での教頭職から
 もう一校別の町で教頭職を一年経験して
 翌年 
 浦河町で小学校校長に採用となりました

 そこでこんな奇跡が有りました
 
 ちょっと個性の強い
 PTA役員のお母さん
 言いたいことをずけずけと言うので
 周囲からも浮き気味の女性でした

 管理職としてのお役目で
 周囲の目を気づいてほしくて
 それとなく
 彼女の言動に言及すると
 その後
 逆に私に対しても
 事あるごとに
 棘のある態度や言葉を
 発するようになりました

 挙句の果てに
 あることないこと
 教育長に電話で告げ口するまでに

 私のもとに
 教育長から直接
 どうなってるだ?
 と電話が入る始末

 教育長はたまたま私の大学の先輩で
 気ごころが知れた人でしたので
 ことのあらすじを話して
 了解してもらいました

 さてどうしたものかと
 思案していたら
 当時良く読んでいた
 ホウホウ先生のこのブログ記事が
 目に入りました

 
 この頃、私も神社、仏閣の良さは分かるのですが、願いの叶う場所は、どこでも同じだと気付いてきました。家の中での瞑想もオツな物です。今日は、家の中を祈りの場所に変える方法を書いてみます。

まず出来るだけ邪魔の入らない落ち着く場所を確保してください。もしなければ自分だけのスペースで、人の気がない空間を確保してください。畳半畳もあればいいです。

そして祈りの場のサークルを作ります。金の紐か紫の紐(約3メートル)を用意してください。33の結び目を作り一周の円にして下さい。33という数字はすごく大事な数字で33次元という、宇宙での最高次元を表します。

又、宇宙のアイデアや、情報のバンクであるアカシックレコードに入る為の階段は、33階段です。そして一対の狛犬やシーザが待機していて、そこを通ってアカシックレコードに入るのです。結び目は、21,108でもいいですが、33が1番お勧めです。

この33個の結び目のサークルに入って瞑想すると、すごく落ち着いてクリエイティブな情報や、アイデアが欲しい時に役立ちます。又、自分が迷った時に、自分を見つめなおす内観などにも使えます。願望成就や過去世を自分で見たい時なども、活躍します。そして33の結び目とサークルが、結界を張ってくれて、あなたを守ってくれる事でしょう。

更に、使えば使うほど、この紐と貴方は親友のような信頼関係を結び、ただこの紐を持つだけで心がアルファー波からシーター波にシフトしやすくなります。慣れれば、この紐をネックレスのように2重にかけ、両手で紐をつかむだけで、心はまどろみシフトする事でしょう!



 これは瞑想しかないと直感で思い
 私も紫の紐で33の結び目を作りました

 それと
 同じホウホウ先生の過去記事で
 問題を抱えている人をイメージで呼び出し
 優しく椅子に座っていただき
 イメージで愛のシャワーを
 頭から全身に浴びてもらう
 というのもあったので
 紫の紐のサークルの中で
 この女性を呼び出し
 シャワーの瞑想をしてみました

 二日後
 教育長から電話が入りました

 お前
 何をしたんだ?
 彼女から 
 私が悪かったと
 電話が入ったとのこと

 その夜
 彼女からも電話が入りました

 概要はこんな感じでした
 私は辛くて
 昨日
 札幌の友人に相談したら
 霊能者を紹介され電話で話すと
 貴女にはキツネの霊が憑いていると言われ
 払ってもらったら楽になりました
 今までご迷惑をおかけしました
 ごめんなさい

 嘘のような
 本当の話です

 人間関係は良かれと思っても
 残念ながら
 裏目に出ることがあります
 そんなときこそ
 祈りの力が大きいと思います
 
 祈り=波動の世界ですから
 奇跡的に見える現象も
 原子核の振動波が同調したと考えると
 不思議ではありませんね


 本日の一句です

 イメージと 祈りの力 我超える

奇跡について その4

昨日の続きです

二風谷ダムを舞台とした
国際トライアスロン大会が
3年目ともなると
無目的ダムと揶揄されてた
二風谷ダムが
そのキャチフレーズの一つに
トライアスロンで使われることで
道民が憩うダム!
的な文言が加味されていたのには
私は驚きと笑いを隠せませんでした

私がダムを使わせてもらいたいと
申請した時にはとんでもない!
との対応だったのにね・・・・

アイヌ民族のの聖地を
無理やり奪って強引に作ったダム
それを憩いの地としても活用と語った時
たぶん
それがアイヌの神様の怒りを
波動的に呼び込んだのだと思います

2003年8月上旬
第3回二風谷国際トライアスロン大会の
前日の開会式は海外招待選手を含め
関係各位を集めて盛大に行われました
ところが凄い大雨
嫌な予感です

その大雨がそのまま降り続き
驚くことに翌日の大会当日は
ダムに大量の水と流木の流入で
ダムそのものが決壊寸前
0149PH15A.jpg
それで
緊急放流したことで
下流は大被害
トライアスロン大会どころの話では
ありませんでした‼

トライアスロン大会のために
この年に河川敷にあらためて作った
サイクリング道路も
一度も使うことも無く空しく流出

トライアスロン大会当日に起きたこの惨事
まさしく
アイヌの神様が怒ったと
私はその時思いました

アイヌ民族の聖地を
無理やり奪い
その当初のダムの活用目的の意味が薄らいだら
和人の憩いの場として活用
と言う詭弁に
神の鉄槌が振り下ろされたのだと思いました

このダムに
トライアスロンを誘致するきっかけを作った
当事者の一人としての私も
大きな責任を感じました

そしてその痛手は大きく
その開催中止となった第3回大会以降は
トライアスロンの話は消えて無くなりました

私も翌年春には
プレ大会から始まり
4年間トライアスロンと共に過ごした
この思い出多き平取町から
転勤することになりました

私の赴任していた4年間に
パッと夜空に大きく開いた花火のように
華やいで
アッとゆう間に消えた国際トライアスロン大会

これは私にとって
大きな学びの奇跡でした

本日の一句です
人間よ おごるなかれと 雨が降る


























奇跡について その3

奇跡について
シリーズになりそうです(笑)

自分のこの70年を振り返ってみると
ふと思ったことが
現実を大きく動かす人生なのには
自分ながら軽く驚いてます

ふと思うことって
何の脈略も無く
功罪や利益に関係なく
出来たら面白そう的な閃き

それは
本質(潜在意識)が宇宙と共振して
ふと
顕在意識に落とし込んで来る感じ

これもトライアスロン関連のお話

三石町の教頭から
平取町振内小の教頭職に
転勤になった年のことです

赴任してすぐに
近くの二風谷ダム付近をランニング

この景観と立地条件は
トライアスロン大会ができると
「ふと」思いました

直ぐにその足で
ダムの事務所に相談に行くと
ダムを泳ぐなんてとんでもない話と
けんもほろろに断られます

あまりにもシラケタ態度で
断られたので
まだ若かった私は
意地でも実現しようと
メラメラと心に火が付きました

そこで
当時北海道トライアスロン連合の会長職を
お願いしていた
国会議員なりたての頃の橋本聖子議員を通して
ダムの使用を打診すると
何とスンナリ使用許可が出ました

二風谷ダムの当時の状況は
散々でした

何故なら
アイヌ民族の大反対を押し切って
アイヌ民族の聖地を潰して
無理やり作った二風谷ダムなのに
その活用が頓挫していたからです

ダム建設の最大の理由は
洪水対策ではなく
苫小牧東部に出来る予定だった
大コンビナートに
工業用水と電気を送ることが目的でした
しかし
ダムは建設されたはいいが
その苫東の大コンビナートそのものが
現実化せず
ダムは無用に近い存在になっていました

その頃は
こんな陰口まで聞こえて来ていました

二風谷ダムは
多目的ダムではなく無目的ダムだ!

その年の夏に
紆余曲折の末
町の役場職員も巻き込んで
北海道のトライアスロン仲間が集合して
プレ大会を実施しました

そこでまた奇跡の連鎖
偶然にも
日本トライアスロン連合の幹部が
たまたま別件で東京から北海道に来ていて
このプレ大会のことを知り
視察に来てくれました

そこで
役場職員も関わっていたことで
平取町長も下見に来てくれて
ここで日本トラいアス連合の幹部と
町長との接点ができました

新しい地でのトライアスロン大会の
可能性を探っていた日本トライアスロン連合と
二期目の町長の目玉政策としての
トライアスロン大会の誘致が合致して
そこからの展開は驚くもので
何と翌年は国際大会になりました
オリンピツクや世界選手権への
参加ポイントを稼ぐ大会の一つになったのです

当日はNHKのBS放送もあり
私も町民代表で一般の部で
トライアスロンを楽しみました

そして
その国際大会も翌年は
規模を大きくして第2回大会が開催され
全国的に有名な大会に成長しました

ところが
3年目に大どんでん返しが起きたのです

長くなりそうなので
続きはまた明日

本日の一句です
ふと思う チャンス到来 すぐ動く


 

奇跡についてその2



昨夜は居候させてもらってる
末娘宅の婿さんを誘って
近くのネオン街に

月曜日なのにお店は満員
巷に活気が戻ってきてますね

さて
昨日の話は
自分に起こる全ての出来事は
自分の原子核の意識と意志が
外界と共振してるから
起ると言うことでした


このお話もトライアスロン関係です

20年ほど前の三石町での教頭時代のこと

夏休み明けの金曜日の早朝
私は学校に休暇届を出し
貞子さんを助手席に乗せ
留萌管内を舞台に開催される
オロロントライアスロン大会
金曜日 コース下見
土曜日 自転車点検と開会式
日曜日 大会本番
に向かっていました

その途中のことです
国道に突然
左から飛び出して来た車を避けきれず
側面衝突とフロントは道路右の電信柱に激突
車は大破し廃車になるほどの事故
ぶつかった電信柱も
その後新しくなるほどの事故でした

飛び出して来た相手は
離婚したばかりの
車で生活してる本州の男性
車の保険も切れてる車でした
その事故の何日か後
その男性は保障から逃げるように
行方不明になりました

助手席の貞子さんは
意識はありましたが
背中を凄く痛がり
動けない状態で
救急車で運ばれて行きました
幸いなことに私は全く元気で
さすが鉄人と言われました(笑)
その後
ムチ打ちなどの後遺症も
全くありませんでした

日本で一番長い距離で競われる
オロロントライアスロン大会
スイムは増毛の海で2km
自転車は稚内方面に向かった200km
最後のランはフルマラソン
私は第1回大会から連続で出場していて
この年はたぶん第12回大会くらい?

貞子さんが救急車で運ばれたので
出場を断念するしかありません
脊髄とか痛めてたら
最悪車いすかなと思いながら
警察の事故処理を終えて
病院に向かいました

驚いたことに
奇跡的に貞子さんは
打撲だけで入院もなく
代車で帰宅することが出来ました。

もっと驚いたのはその夜です
大雨と共に
物凄い雷が学校横の電信柱に落ちたのです
直ぐ側の教員住宅に住んでいた私たちも
飛び上がるほどの雷でした

驚いたのは雷だけでなく
辺りの住宅は全部停電なのに
不思議なことに
我が家だけが煌々と電気が灯ってるのです
二軒長屋の同じ屋根の下の隣の若い先生宅は
電話もダメになるほどだったのに・・・・

大事故と落雷が
一日で起きる事って
人生には少ないと思いますが
怪我もせず停電にもならない不思議

翌朝の土曜日
学校が大変なことにに成ってました
電気系統が雷でやられて
その対応に追われて
私の事故の事など
話してる暇がありませんでした
結局
事故が無くても
管理職の教頭ですので
留萌から呼び戻されてたと思います

まだ不思議な話は続きます
日曜日
留萌でのトライアスロン大会の事を
悔しい気持ちで思いながら
業者対応で学校を離れられないので
グランドを何周もグルグル走ってる時
トライアスロン仲間から携帯に電話が入りました

中泉先生!
レース途中で大雨と雷のために
大会が中止になった!

結局
私の連続出場記録は継続となった
おまけ付きの話と成りました
それにしても
恐ろしく不思議な夏の日でした

全て不思議なのですが
特に我が家だけが通電してたのが
一番不思議でした

多分
朝の大事故で 
私たちの原子核が異常に帯電してたのかも
知れませんね

それで私たちを取り巻く
空間や次元が
歪んでいたのかもしれません

日本一周の途中で
出会った
長崎県のパーラーあんでるせんでの
凄いマジックショーも
マスターが演じるカウンター内が
間違いなく異次元空間でした
興味のある方は
私の過去ブログご覧ください
https://sakuragisho.at.webry.info/202001/article_7.html

本日の一句です
この星で 生きてることが 奇跡です

奇跡について その1

日本一周夫婦遠足は
コロナが終息し夏の酷暑が終わる
早くても今年の9月に再開と考えています

それでこのブログは
不定期に日常での気づきを
綴っていきたいと思います

今日は私の人生に少なからず起きてる
「奇跡」について
思い出しながら書き出してみたいと思います

なぜ
そう思ったかと言いますと
日本一周の旅の途中
山口県田布施町でお会いし
生き方や考え方が良く似ていて
年齢も近いこともあり
意気投合した
ピンク仙人こと西元さんの
最近のブログを
読んでなるほどと思ったからです
https://www.facebook.com/profile.php?id=100007049565737

足立育郎さんの波動の本は
以前に私も何冊か読んではいました
しかし
難しくてなかなか理解できずでしたが
ピンク仙人が大事な部分を
整理して書き出してくれたので
私の人生にたくさんの「奇跡」が
舞い降りてる理由が良く分かりましたので
皆様にもシェアさせていただきますね

簡潔に言うと
私が決心して行動に移すことで
発する波動が変わるので
発(振)信力も受(振)信力もアップする
それが奇跡現象のように見えたり
感じたりするとのこと

以下
最近のピンク仙人のブログから
関係部分の抜粋です
少し長いですがお読みください

  足立育朗さんの「波動の法則」より学んでいます。

 「決心」することが原子核の集合体を成長させる
  「行動」というのは「決心」をした時なのです。
  要するに、何だか分からないけれど、まだ決められないで悩みながら
  とりあえずこうしておくという、これは「行動」ではありません。
  これでは、原子核の集合体(EXA PIECO)の原子核は増えないのです。
  ところが、「本質はこういうことをやった方がいいな」と思いながら、
  顕在意識(DIKAG)では「あれもこれも起きちゃうかもしれない」と心配する。
  けれど「とりあえず、もう思い切って決心してしまおう‼️」と
  そういうふうに思いますと、途端に原子核の集合体(EXA PIECO)の
  原子核の数が増えます。
  つまり、受振と発振の装置が増えるのです。
  その結果どうなるかと言いますと、受振でたくさん情報が入る装置が出来、
  発振で同じ問題に対して解決策が必要だという周波数をたくさん
  発振するわけですね。
  「決心」するということは、原子核の集合体の原子核の数が増え、
  そうすると、自分の身の周りで起きている全ての現象は、自分が
  発振した波動波と同調したときにその現象が起きるわけですから、
  当然今まで目の前を通り抜けていたような振動波と同調出来るようになる。
  発振する数が増え、受振する装置も増えるので、その現象が起きるようになる。
  例えば、「本質」に入ってきた情報を「本質」で実行しようとする人が
  周りにもいるわけだから、そういう振動波と同調出来るようになる。
  それまで自分が不調和な振動波のために同調することが出来ず、
  通りすぎていただけの振動波も、自分が「決心」して調和のとれた
  振動波になると、同調しやすくなるのですね。
  その状態が瞬時に起きるのです。
  ですから、「決心」する前と「決心」した後では全然違うのですね。
  「波動」では「まるで」違います。
  「波動」で理解できていない文化なので、それに気づいていないのですね。
  現象でしか捉えないから、奇跡とか偶然になってしまうのだ。
  これは、奇跡でも偶然でもない、「波動」で理解できる文化のレベルになれば
  当然のことなのですね。
  「決心」するということは、「損か、得か」ではなく、即、答えであり
   迷いがないわけです。
  入ってきた情報が自然の法則に叶っていますから、調和のとれた「本質」に
  「直感」という形で入って来ているわけですね。
  それをストレートに受け入れてそれを実行すること、これは自然の法則に
  叶って調和がとれています。
  自然は、そのように出来ているようですね。
  原子核の数が増えるということは受振も発振も増えているので、「決心」
  する前とは急変して、あれをやる場合、こういう問題が起きたら困るから
  あの人に相談してみようとか、あそこから資料を取り寄せてみようとか
  いうようなことを思えば、それこそ「波動」ですから、現象が起きてしまう。
  「決心」した時点からその波動波は出ているので、こちらで行動を
  とらないうちにダイレクトメールでその答えが来てしまったり、
  バッタリとその人に電車で会ってしまったり、電話が入ってしまう。
  こちらでやろうとしていることが先に来たりすることが頻繁に起きてくる。
  調和のとれた意識で行動を取り出した人は、必ず皆さんがそういう体験を
  しています。
  これを繰り返すかどうかなのですね。
  大切なのはその繰り返しだけです。
  基本的には、調和のとれた状態で原子核の集合体がスタディをし、周波数が
  上がって、自然の法則、「本質」に近づいて行く。
  宇宙全体の時空間をコントロールしているそういう「本質」というのは、
  やはり宇宙全体の重心に、「意識」と「意志」としての振動波で、
  一番調和のとれた存在があるようです。
  それが究極の宇宙意識で(EHKO)と言います。
  その周波数に向かって今の時空間の全ての存在物の原子核の集合体というのは、
  常にスタディしながら調和のとれた方向で近づいていく。
  これは、人間だけではありません。
  動物も植物も鉱物も全てそうです。
  当然、星もそうです。
  地球も太陽も月もみなそうです。
  全ての存在物に原子核の集合体が存在しています。
  「意識」と「意志」、中性子と陽子、それがあらゆるスタディをしながら
  それを通じて成長し、調和のとれた時空間が構成されていく方向に
  向かっているようです。
  そのスタディの段階で、物体を選択してスタディするということが
  輪廻転生ということだそうですね。



今から30年ほどの前の奇跡

高石友也と言うかつてのフオーク歌手が
日本初のトライアスロン大会で
1位で一人でゴールしないで
2位の人を待って
二人で手を繋いでゴールしたニュースに
凄い熱いショックを受け
泳げないし競技用の自転車も無かったけど
自分もトライアスロンの大会に出ると
決心

ところが
そのころ北海道には
正式なトライアスロン大会が無く
それで
仲間に働きかけ
苫小牧にプレトライアスロン大会を
立ち上げると
決心

今思えば
苫小牧市に転勤したばかりの年に
地縁も人脈もほとんどないのに
良くできたと思います

翌年にはマスコミや行政や警察にも働きかけ
正式の大会となり
10年ほど私が中心で大会を運営
その後転勤等で運営から退きましたが
今でもその大会が
苫小牧の初夏の風物詩として
開催が続いています

でも
このコロナで今年は開催不可ですね

明日は
引き続きそのトライアスロンに関わる
奇跡その2を書きますね

本日の一句です
奇跡はね 貴方の波動 次第です