奇跡について その6


今日6月6日は
私にとって特別な日です

退職を決めたのが
今から14年前の
2006年6月6日のこと
この日の早朝の
奇跡的なご来光を見た時
大きな閃きがあり
翌年春の退職を決めました

ことの経過の詳しくは
私が過去に書き残していた
下記文章をご覧ください

私の人生に与えられた教職という道は天職でした。大変なこともありましたが未来に向かって成長する子供たちと関わることはとてもやりがいがあり、充実した日々でした。
私は40歳代の後半に管理職の道を選択しました。その理由の一番は、親孝行を考えたからです。小学校しか出ていない両親にとって息子が校長になることはこの上ない喜びだったと思います。しかし、そんな両親の喜びは束の間でした。私はたった2年で校長職を辞し、定年退職まで3年を残して早期退職の道を選択したからです。
退職の理由は、三つあります。一つ目の理由は、日本中で、子殺し親殺しが当たり前のような昔にはなかったとんでもない事件の続発です。ニュースを見るたびに、このままでは日本が滅びる、子供の教育だけではだめだと思うようになりました。世の中を変えるために、第二の人生は子供を教育するより、まず、大人を変える仕事をしたいと思いました。
二つ目の理由は、私はとっても素敵な学校の校長だったからです。地域もPTAも児童も教職員にも恵まれ天国でした。ここに私は必要ないと思いました。不思議に思うでしょうが事実です。早期退職する身にとってこの素敵な学校は男の花道だとも感じました。逆に大変な学校での早期退職は敵前逃亡と同じになります。また、定年をめでたく迎えてご苦労様という人生を選択するよりも、途中退職し自分を追い込む人生の方が良い仕事ができるとも思いました。
三つ目は、素敵な朝日に遭遇したことです。6月6日の朝日に手を合わせると、とても奇跡的なことが起きるとあるブログに書いていました。2006年6月6日の朝。実は残念ながらその話はすっかり忘れて寝ていたのですが、不思議なことに普段吼えない愛犬鈴(当時1歳)が吼えて起こしてくれました。でも、外はドンヨリ曇っています。あきらめて布団に入りなおしました。
すると、犬の散歩に出た貞子さんが急いで私を起こします。「朝日が出ている」と。外に出てみるとポッカリとそこだけ開いた地平線と雲間の狭い間に、真っ赤に輝く朝日が出ていました。2~3分で朝日は雲の中に。私はこの束の間の幻想的な朝日を見た瞬間、なぜか「学校を辞めよう」と決断しました。
その夏に、教育長に辞表を提出しました。教育長の驚く顔が今でも思い出されます。私を高く評価してくれていた人を裏切るようなものですので、とても心苦しさがありました。
それにも増して貞子さんの戸惑いは大きなものがありました。この人と共に築いていく第二の人生です。説得し納得してもらう必要があります。私の最後の殺し文句はこれでした。「仮にこれから行うことが最悪のシナリオになったとしても命まではとられない。生活保護を受けても二人がこれまでのように仲良ければ大丈夫だよ。」
翌春の退職まで約半年の猶予がありました。人間、決断して宣言して行動を始めると自分自身のセンサーが敏感になるのを感じました。これまでにはないようなたくさんのアイデァや情報が私に集まり、現在の大人の学校「さくらぎ笑楽好」の構想が出来上がり、大人が元気になる空間が現実のものとなりました。




本日の一句です
宣言で 本気センサー スイッチオン

追伸
私が校長職に就いた時の
前の年度までのPTA会長で
その後学校評議員として
いつも顔を合わせていた方の息子が
何と
今私が居候でお世話になってる
末娘の旦那さん!

彼と娘との出会いは偶然で
私が退職して10年以上経ってからのことですので
これも奇跡と言えますね





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