奇跡について 最終回

奇跡シリーズ
とうとう最終回です

多分これからの人生でも
奇跡的にみえる振動波同調は
起きるとは思いますが
一応最終回 (笑)

で最終回は
貞子さんとの出会いに関する奇跡

最近のブログ読者さんから
貞子さんとの馴初めを知りたいと言う
要望もいただいていたので
奇跡と絡めてお話しますね

私は男ばかりの5人兄弟の次男
兄は勉強が良く出来る秀才タイプ
次男の私は勉強は普通で
得意なことは走ること

母親の偉いところは
兄弟を比較することは無く
兄ちゃんは勉強できるけど
盛行お前は走るの速いね
と違いを認めて褒めてくれる人でした

その兄が
国立北海道教育大学函館校に入学

負けず嫌いの私は
兄と同じ大学に入って
足の速さを生かして
体育教師になろうと思いました
もし
兄が大工さんにでもなっていれば
多分自分も大工さんになってたと思います

ところが
学力的には国立大学は
私の学力ではハードルが高すぎたので
当然現役では受かりませんでした

札幌での浪人中はネオンがまぶしすぎて
凄い遊びまくり
結局は予備校には一度も行かない馬鹿な生活
ここでは詳しくは書きませんが
一発逆転の大どんでん返しがあって
兄と同じ大学に滑り込みました
これも奇跡と言えば奇跡ですね

その奇跡的に合格した大学ですが
その頃は全国的に学園紛争花盛り
函館の教育大学も大学封鎖など
学生が政治的主張を掲げて大暴れの時代

何故か
兄と暮らすようになったアパートが
学園紛争のアジト化していて
兄はその中心的メンバーだったので
右も左もわからない田舎者の私でしたが
結局私も左翼系学生一派の仲間と共に行動

結局
ほとんど大学に行かないと言ううか
行けない生活が2年ほど続き
大学紛争も下火になりましたが
負け戦の敗残兵みたいな私たちは
ほとぼりが冷めるまで大学にも行けず
実家の不況で仕送りも無く
仕方がなく仲間数名と
蕎麦屋の出前持ちのバイトで
生きていくことになりました

それが貞子さんとの出会いでした
ア~やっと本題に入れた(笑)

その蕎麦屋に勤めていた姉を頼って
近隣の町に住んでた高校生の貞子さんが
夏冬休みにバイトに来ていました

ホールに立ってる貞子さんを
初めて見た時の印象は今でも覚えていて
一輪の可憐な野の花が
静かに微笑んでいる感じでした

ところが
貞子さんは私のことなど
全く印象に無かったそうです(笑)

ひとめぼれの私は
何日か後に
ここ一番の勝負で
貞子さんを映画に誘うと
何と二つ返事でOK

その映画は
何とも色気のない
「フーテンの寅さん」(笑)

その後
昭和48年の春
高校卒業と同時に
強引な私の押しの強さで
全く世間知らずの貞子さんと
函館市内で同棲生活開始

私は貞子さんと出会ったころから
少しずつ大学に復帰していて
同棲した時は既に大学5年生

私の大学での授業に合わせるために
貞子さんは高校卒後に勤めた会社は
直ぐに退社して
バイト生活で私を支えてくれました

その昭和48年の暮のことです
競馬場警備のバイトで
馬券の買い方を覚えた私
それで
初めて貞子さんも馬券を買いました
年末恒例の有馬記念です

ニットウチドリと言う可愛い名前と
ストロングエイトと言う強そうな名前
で貞子さんが1枚200円で買った2-8の馬券が
何と万馬券!

続いて
函館大門商店街の年末福引
特賞大当たり!

奇跡は続きます

そして
年明け早々に
貞子さんご懐妊判明

私は5年生では卒業は無理で
6年目突入が見えてたので
果たしてどうしたもんか
と思い実家に相談

早々に簡単な挙式をして
お腹が膨らんで来た貞子さんは
私の静内町の実家で暮らすことに

私は前年に
道教委の教員採用試験には合格していたので
大学を卒業さえできれば
就職の道は見えていましたので
私は函館に残り
必死で卒業を目指しました

8月には無事長女夏子が誕生
私の大学卒業も9月中旬に認定され
大学5年半で卒業できました
と言うか
押し出された感じでした

そして直ぐに
えりも岬小学校赴任の話がきました
9月いっぱいまでは
前年度の採用試験合格権利が残っていたので
ギリギリセーフでした

しかし
直ぐに健康診断を受けて関係書類を
道教委に提出しなければ
期限が切れることが分かり
郵送では間に合わないので
私がJRに乗って直接書類を届けに
札幌の道教委に出向くことになりました

ここから奇跡と言うか
不思議なことが起きたのです

何故か札幌駅を出て歩き始めたら
大事に抱えていたはずの
書類の入った封筒が手元に無いのです!

今日届けなければ
就職は無しです
パニックです

慌てて駅に戻ろうとして走り始めたら
何と
空から封筒が舞い降りてきたのです
地面に落ちた封筒を拾って
手に取ると大事な書類が入ってました!

夢を見てるような
不思議な光景でした
どうしたんだ!
俺は大丈夫なのか?

頬っぺたをつねりたい気分でした

これを
奇跡と言うか
超常現象と言うか

不思議過ぎる出来事でした

そして
昭和49年10月1日採用で
無事10月10日の体育の日に
私は貞子さんと長女夏子を連れて
えりも岬小学校に着任出来ました

皆様
長らく私の奇跡シリーズ
お付き合いありがとうございました!

本日の一句です
齢重ね 生きてる今が 奇跡です

追伸
昭和49年の年末のレコード大賞の曲が
森進一の「えりも岬」でした

何もない春ですと
歌われたえりも岬
私たち家族はそれでも幸せでした


































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