笑うランナー健幸日記

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zoom RSS 母さん心からありがとう

<<   作成日時 : 2015/04/08 00:44   >>

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 母がとうとう逝った

 享年92歳


 20年前に

 脳梗塞で左半身マヒになり

 車いす生活


 その後徐々に弱り

 この3年は寝たっきりの生活

 目はほとんど見えず

 耳元で大きな声で叫ばないと聞こえず

 しかし、頭脳は昔のまま明晰


 寝たきりなのに

 骨折が頻繁にあり


 明晰な思考を持ちながら

 不自由な身体で

 闇の世界で痛みと闘う日々


 会うたびに

 早く楽になりたいと

 訴えていた母


 できるものなら

 この手で楽にしてやりたい

 息子の私がいました


 それで

 四日の早朝に

 母危篤の報が入った時

 あぁ良かった

 と

 安堵した私

 
 すぐに札幌へ車を走らせましたが

 臨終には間に合いませんでした



 実は

 私たち今年初の夫婦遠足に出て

 今月の2日 3日 4日と

 道北を歩いている予定でした


 ところが

 3日は予想外の大雨で

 予定を変更して

 3日の夜には

 苫小牧に戻っていたので

 すぐに母の元へ駆けつけることが

 できました


 それで

 亡くなった4日の午前中には

 兄弟で葬儀の相談がすぐまとまりました


 4日は土曜日なので

 土日の二日間で葬儀を執り行うことに


 母の生前からの希望は

 他に知らせず

 父と私たち兄弟の家族だけで

 お酒を飲んで楽しく送り出して欲しい

 とのことでしたので

 その夜自宅で

 お酒をたくさん飲みながら

 楽しく通夜をして


 翌日午前中に

 火葬して繰り上げ法要

 という

 何ともスピーディな葬送でした


 土日だったので

 ほとんどの関係者が集まることができて

 さすが

 生前からの

 配慮のある母らしい逝き方でした

 


 母の思い出は尽きない



 私は

 男ばかりの5人兄弟


 父は根っからの山師なので

 中泉家の生活は

 転々として落ち着かず


 5人の息子が

 全て出生地が違うことだけでも

 母の苦労は計りきれません



 その一つのエピソードとして


 私がまだ赤ん坊のころ

 兄の手を引く母の背に負われながら

 東京に夜逃げした苦労話を

 武勇伝(笑)のように

 父の浮気話と一緒に

 晩年

 父と母が飲みながら

 よく話してくれたものです



 私が小6の時に

 最後に落ち着いたのが

 日高の静内町


 そこで父は

 日高山脈の麓から

 木材を切り出す父の兄の会社の

 静内所長を任されていました


 我が家の二階には

 出稼ぎの人が2〜3人常駐し

 母の寝たきりに近い両親も居て

 私たち5人息子も含めて

 超大所帯


 
 女手一つで

 三度三度の食事支度を含め

 この大所帯を仕切っていた

 母のことを今思うと

 改めて

 凄すぎますね



 この他に

 犬が2匹

 猫が5匹

 鳩が数十羽



 その当時の我が家の

 情景を一言で表現すると

 

 兄弟げんかの間を

 猫が鳩をくわえて走り

 犬がそれを見て吠えている

 そんな喧噪が

 中泉家の日常風景



 
 母にはよく叱られましたが

 褒め上手な人でもありました


 もりゆきは

 にいちゃんみたくは

 勉強できないけど

 走るのは早いよね


 もりゆきは

 だはんこき(すぐに怒って泣き叫ぶ)だけど

 すぐに気持ち切り替えるところが

 いいよね




 そんな母に若気の至りで

 悲しい思いもさせました



 私は

 大学受験に失敗して

 札幌で下宿して予備校に通うことに


 昭和24年生まれの私は

 団塊世代の中でも

 一番人口の多い世代


 初日に遅れて予備校に着いたら

 座る席がないくらいの盛況で

 翌日から行こうと決めましたが

 結局 それ以来

 ずるずると

 一日も予備校に行かない

 予備校生人生を送ることに



 それは

 田舎育ちの私には

 札幌のネオンが眩しすぎたから(((o(*^∇^*)o)))



 全く勉強せず


 酒に

 パチンコに

 タバコ


 うぶだったので残念ながら

 女は無かった 。゚(゚´Д`゚)゚。



 そんな生活では

 すぐに仕送りの金が無くなるので

 日雇いのバイトの毎日



 この悪循環の生活は

 当然長くは続きませんでした


 夏が過ぎたころ

 お宅の息子さんは一日も

 予備校に来ていません

 と

 実家に連絡が入りました


 
 そして

 電話やメールを今のように

 便利に使える時代ではなかったので


 母から

 たどたどしい文章の手紙が届きました



 あの超忙しい母の

 字を書く姿も見たことが無かった私には

 その手紙は

 落雷に打たれたようなショックでした


 
 もりゆき

 お前を信じていたのに・・・・



 という母の悲しみが詰まった文面で

 私は目を覚ましました


 あの過酷な状況で

 誠実に生きている母を

 裏切ってしまった

 悲しませてしまった

 私のマイナス体験のエネルギーが

 振り子のようにプラスに振れて


 その秋からは

 下宿に籠り

 一人で猛勉強


 翌年

 教育大学に合格しました



 つくづく

 今の私があるのは

 あの時の母の手紙のお蔭だと思います


 教育という天職に着き

 校長職を拝命できたのも

 母の愛の賜物だったと思い

 感謝あるのみです


 
 結婚後も

 貞子さんの出産や転勤の度に

 泊りがけで家事を手伝いに来てくれました


 女の子の居なかった母は

 とりわけ貞子さんを可愛がってくれて


 貞子さんも自分の母親以上に

 私の母を慕ってくれたので


 私はその関係性にいつも救われ

 そして安堵していました



 語ればきりのない

 母の思い出

 

 一人残された

 94歳の父を

 支えるのが


 今

 母に恩返しできることの一つ


 そして

 父と母に貰ったこの命

 存分に楽しむことが

 一番の親孝行だと思っています



 最後まで

 読んでいただいた皆様

 ありがとうございます

 
画像




 本日の一句です

 老母逝き 嬉し悲しの 今日の朝

 

 


 


 


 


 


 

 

 

 

 






 


 

 




 


 

 



 





 

 




 

 

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